【幸せな採用にするために。】
就職は、結婚に似ています。
中身をよく知らないまま入社すると、あとから「なんだか思っていたのと違う…」とスグ辞めてしまうことになりかねません。
これでは、会社も社員もお互い傷ついてしまうことになってしまいます。
「会社も傷つくの?」って思いますか?
社員を家族のように思ってしまう私にとっては、本当にさみしいのです。
私が採用した社員を、仲間として温かく迎え、育てようとがんばってくれる社員たちにも申し訳ない気持ちになります。
「関わる人の生涯幸福に貢献する」という理念を掲げている以上、採用でミスマッチを起こしたくはありません。
だから、私がどんなことを考え、どんな想いがあるのか、採用ページでしっかりお伝えします。
【野球少年、「治療家」に出会う。】
ケガを治し、また野球をできるようにしてくれるのはもちろん、僕の話もやさしく聞いて、いろんなアドバイスもしてくれる。
有名なスポーツ選手もその先生を頼りに通ってくることにも驚き、「こんな仕事があるんだ…!」と感動したんです。
以降、ケガをすると様々な治療院に通うようになり、先生の背中に憧れ、僕はチームメイトにも自分がしてもらったようなマッサージをしてあげるようになり、ついたあだ名が「ドクター」。
そのニックネーム、私にはちょっと誇らしかった。
私自身も野球に打ち込み甲子園を目指す一方で、先生みたいな「治療家」になりたいという想いも抱くようになっていたのですから。
【治療家になる術がなく、ホテルマンに。】
結局、甲子園へ行く夢は叶わず、進路を考えたとき、「治療家を目指す」という道に進むことも頭をよぎりました。ですが当時、柔整師の学校は日本に数えるほどしかなく、コネや多額の寄付をしないと入学さえ出来ない状況でした。
そこで部活を引退後、宴会場やレストランでアルバイトをしていたことから「サービスを極めてみよう」とホテルの専門学校に入学。
卒業後は、一流ホテルに入社することできました。
ホテルマンって、はたから見るとスマートなイメージがあるでしょ?
でも、バブル全盛期だった当時は24時間勤務も当たり前で労働環境も待遇もブラック。
1年間働いてみて「ホテルはお客さんとして来る場所だ」と悟ったのです。
そんなある日、野球部時代の友達からの1本の電話で僕の人生は、動き始めることになりました。
【ホテルマンの休日は、整体師の修業!】
「知り合いの整体師が弟子を探しているんだけどお前、整体師になりたいんじゃなかったっけ?」
悩んでいた私には、渡りに船のような連絡でした。
私はホテルマンとして月8日あった休日をすべて使い、その整体師の先生の内弟子として修業を始めることにしました。
そうして2年間、腕を磨き、弟子を卒業してホテルを退社。
正式に「治療家」としての道を歩み始めるべく改めて家の近所に開業したばかりの整骨院で勤めはじめました。
保険治療だけに終わらず、しっかりと心を通わせマッサージも行う。
少年時代に憧れた「治療家」の姿をなぞるように一人一人の患者さんと向き合いました。
次第に、街でも評判の治療家に成長していったのです。
【妻や家族をもっと幸せにできる力を。】
治療家としては、すこぶる順調でした。
大人気で、クチコミやご指名をドンドンいただけます。
でも、いくら腕がよくても、僕には柔道整復師の資格がない。
同僚たちは、みんな有資格者…資格の学校時代の思い出など話についていけないことも多かった。
内心ではそれが悔しくて、ずっと劣等感を抱いてきたのです。
あるとき、妻と焼き鳥を食べていたとき「宝くじに当たったら何がしたい?」と聞かれました。
私は、ポロッと「柔道整復師の資格が取りたい」と答えてしまいました。
そこからずっと抱えてきた劣等感を妻に打ち明け、でも、家庭を持った今じゃもう無理だから…と諦めたように笑いました。
ですが、妻は「じゃ、学校行ったらぁ!私と結婚したから夢をあきらめたとか子どもが生まれたから学校には通わなかったなんて、言わんといて欲しい。
やれるだけやってみよ?私も応援するから!」
…初めて妻の前で男泣きしました。
この妻を、そして家族を守るために、絶対にやり遂げる。
もっと幸せに出来る力を手に入れてみせる。そう覚悟が決まりました。
【無資格の先生、ついに「柔道整復師」に。】
覚悟を決めた途端に縁があって資格の学校を紹介してもらえる人に出会い無事入学することができました。
朝と夜は働いて、昼間は学校へ通う生活でもほとんどは学費に消えて、月1万5000円しか残らない…。
それでもなんとか乗り越えて、鍼灸師、柔道整体師の資格が取れたのは家族の支えがあってのこと。
こうして僕は3年間、「無資格の先生」として働きながらその後鍼灸師、柔整師を取得し、11年間働かせてもらった整形外科を退職し独立。
2003年にようやく開業できたのです。
子どもの頃に憧れてから、ずいぶん回り道をしたかもしれません。
ですがその分、ホテル仕込みのサービス精神をもち、資格の重み、家族のありがたみを知る「治療家」になれたはず。
僕は水を得た魚のように腕をふるい、さらに磨きをかけていきました。
【私たちは、ライフチェンジアドバイザーにもなれる。】
あれからずいぶん月日が過ぎました。
地元の大阪市港区でオープンした1院目が大繁盛。
大阪のオフィス街、本町に進出した2院目では当初、集客に苦しんだこともありましたが、スタッフにも恵まれ、今ではこちらも大盛況。
おかげさまで大手クチコミサイトでもNO.1の整骨院に成長しました。
さらには女性スタッフたちによる骨盤ダイエットの専門院、リハビリに特化したデイケアサービスを行う介護施設も2つ経営しています。今後は港区の本院を中心とした地域には歩行に特化したリハビリデイサービス以外にも訪問看護など地域に必要なものを作りビレッジ化していきたいと考えています
また中心地の本町の方では整骨院ヒーリングハンドを中心に今後は実費での整体院、美容サロンを展開したいと考えています
あくまで「治療家」としての本業は整骨院です。
ですが、社員たちを物心共に幸せにすることを思えば、事業を拡大し責任あるポジションをお任せしたり、企業として安定感を高めていくことは必要です。
整骨院に通っていた患者さんが出産後、骨盤ダイエットの方に来院されたり、高齢で骨折した後のリハビリに訪れたり…
関わった患者さんに、より様々な角度から関わっていけるチャンスも増えます。
整骨院で培ったノウハウを拡げれば、私たちは心と体のライフチェンジプロデューサーのような存在にもなれる。
今後も整骨院との相乗効果も考えながらいろんなことに挑戦していきたいと思います。
…まあ、あくまで社員のみんなもやりたいと言ってくれればですが(笑)
【大切な人をずっと守る力。】
これが私のルーツと現在地です。
妻に励まされ、柔道整復師の資格を持った治療家として歩み始め、
整骨院経営においても大いに助けられてきました。
家族の支えがあってこそ、ここまで辿りつけた自分ですから
「社員のみんなにも大切な人がいる」ということは、
常に意識してきました。
社員が増えるたびに、家族が増えるような感覚で向き合ってきました。
だからこそ思うのです。
同じ「治療家」としての道に入ったからには
一人一人の患者さんに本気で「治したい」と思って向き合ってほしい、と。
1回の施術で「よくなった!」と実感を届けられる腕を身につけ、
患者さんの心に寄り添える人間性も身につけてほしい。
感謝され、頼ってもらえることは
やっぱり「治療家」にとって最高の喜びです。
かわいい社員には、存分に味わってもらいたい。
治療家というお仕事はありがとうと言われながらお金をもらえる
本当に良いお仕事だと思っています
しかしそれは結果が出せて初めて味わえる喜びでもあります。
そうして磨いた腕は、必ずや「大切な人を守る力」になります。
「縁あって出会った方々の生涯幸福に貢献する」という理念は
患者さんに向けただけの理念ではありません
私にとってはスタッフにも同じ様に思っています。
縁あって出会ったスタッフにも
生涯に渡ってお付き合いの出来る関係性を築きたいと
考えています。
ここで一緒に私と学び続けませんか。
株式会社Healing Hand 代表取締役
整骨院ヒーリングハンド 総院長 中村 務